日本の朝貢貿易について質問です。遣唐使や勘

Writer: admin Type: clarksre Date: 2019-01-11 00:00
日本の朝貢貿易について質問です。遣唐使や勘合貿易など、日本は中国の冊封体制に乗っかることで技術や利益を享受してきました。日本からの使いは中国皇帝に対して三跪九叩頭していたのでしょうか?それとも、利益だけ享受すればいいから皇帝に謁見する必要なんか微塵も考えていなかったのでしょうか?それとも、日本のような蛮国の使いが皇帝に会おうなんてとんでもないことだったのでしょうか?共感した0###❶日本からの使いは中国皇帝に対して三跪九叩頭していたのでしょうか?*【いえ、日本の使者は中国皇帝に三跪九叩頭はしていません】*三跪九叩頭は清朝でのみ行われました*元々、叩頭は元朝から始まったと言われています。*叩頭は、モンゴル人たちがチベット仏教において仏陀や菩薩などに向けてひざまづく礼拝が世俗化し、元朝においてひざまづく礼拝(叩頭)が臣下が皇帝に対して行う礼儀へと転化したと言われています。*清朝は満州族とモンゴル族が支配民族であり、チベット仏教が国教だったので、三跪九叩頭が考え出されました。*例えば、康有為は、『擬免跪拜詔』の中で、中国における君臣の儀礼の変遷を総括して、「漢制,皇帝為丞相起,晉、六朝及唐,君臣皆坐。宋乃立,惟元乃跪,後世從之。(漢の制度では、皇帝も丞相のためには立ったが、晋、六朝、唐では、君臣ともに皆が座った。宋では立っていたが、元から後はひざまづくようになった。)」と述べています。*❷それとも、利益だけ享受すればいいから皇帝に謁見する必要なんか微塵も考えていなかったのでしょうか?*【そういう事ではないと思います】*清朝の時代の日本は江戸時代と明治時代が大半です。*江戸時代の日本は鎖国をしていて、清朝と正式な国交はありませんでした。*また、明治維新以降は日本の使者が中国の皇帝に三跪九叩頭をしたという記録は見付かりません*❸それとも、日本のような蛮国の使いが皇帝に会おうなんてとんでもないことだったのでしょうか?*【何とも言えません】*清朝の皇帝が日本のような蛮国の使いが皇帝に会おうなんてとんでもないことだと考えていた可能性はあります。*ただ、日本の使者が清朝皇帝に三跪九叩頭をしなかったのは、正式な国交がない事とアヘン戦争以降の清朝は諸外国の使者に三跪九叩頭を強要しなかったからだと思います。*少なくとも明治維新以降に清が日本の使者に対して三跪九叩頭を強要しても日本の使者は拒否したと思われます。ナイス0
###詳しい説明ありがとうございます###1761年の[皇満職貢図]と1818年の[嘉慶法典]と言う、清の時代の[中国への朝貢国のリスト]には、日本は載っていません。ちなみに、これには[ポルトガル、イギリス、オランダ、ローマ法王庁]まで載っているので、純粋な朝貢国と言うより[清に貢ぎ物を持ってきた国]のリストだと思われますが、つまり[日本は何も朝貢してない]って事ですね。仕方ないですね。中国の公文書に載ってないから。残念ながら[朝貢国]ではございません。これ、七世紀に、聖徳太子が隋に対して[私とあなたは対等]と言う親書を送り、隋の煬帝は激怒しながらも[返書を送った]ので、以来、中国では[日本とは対等]って事が、歴代王朝に受け継がれているからです。だから、元が日本に対して[朝貢しろ]って言ってきたんですね。ああ、明が、豊臣秀吉に[朝貢しろ]って言って、豊臣秀吉が激怒して、これが、晩年の[大陸への出兵]に繋がったって話もあります。日本は慣習として、[手ぶらで]中国の皇帝に謁見してるって話を聞きましたが?ナイス0
###朝鮮半島を間に置くことで、日本は中国の冊封制度を免れたわけで、貿易をする為に体制に乗っかったわけではありません。日本のそういった方針であっても、隋や唐王朝には日本の利用価値が有ったからに他なりません。お互いの正式な使節であれば、当然おたがいに謁見しています。日本側も、正式な使節でなければ、中国王朝の使節には面会を許していません。ナイス0
###日本の使いもしていました。と言うか、中英の親交が深まらなかったのは、英使節がそれを拒否したからでもあります。中国から遠い(遠くなれば遠くなるほど野蛮らしい)イギリスに求めるのですから、日本も求められて当然です。ナイス0

 

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